小堀遠州流は小堀遠州によって確立された、400年もの歴史のある武家茶道です。宮家や公家、将軍家などを中心に広がった流派で、お点前にも武家茶道ならではの作法があります。本記事では小堀遠州流の歴史や特徴を解説します。これから茶道を始めようと考えている方は、ぜひ参考にしてみてください。
小堀遠州流とは?
小堀遠州流は江戸時代初期の大名茶人である小堀遠州(小堀政一)を祖とする武家茶道です。
小堀遠州は徳川将軍家の茶道指南役でもあると同時に、幕府の重臣として政治においても活躍した人物です。お茶だけではなく、建築や造園などでも才能を発揮し、桂離宮、仙洞御所などの建築や大徳寺の孤篷庵、南禅寺の金地院の庭園などを手がけています。
古田織部に師事していた小堀遠州は、茶道に王朝文化の美意識を取り入れ、独自の茶の湯を確立しました。華やかさがありながらどこか一抹の寂しさのある茶道は、「きれいさび」とも称されます。
小堀遠州流の特徴
小堀遠州流は茶の湯の侘びさびに厳格さや華やかさが融合した、独自の美意識をもとに形成された流派です。続いて、小堀遠州流の特徴を解説します。
小堀遠州流の「きれいさび」
小堀遠州流は千利休が大成させた茶の湯の「侘びさび」と、王朝文化や武家の格式を融合させた「きれいさび」が特徴です。
華やかさと寂しさの融合したきれいさびは、お点前や道具など、随所で感じられます。お点前には武家らしい凜々しさやメリハリがあります。合理的で無駄がなく、客の目を惹く見せ所もあり、見ていて飽きません。
また、遠州好みの道具には、耳付や前押、瓢箪、七宝文、菱などがあしらわれているものが挙げられます。遠州は茶入れや茶杓に好んで王朝文化の和歌を採用した銘をつけています。
歌を取り入れた銘を「歌銘」といい、遠州以前からあったものです。しかし、遠州が多用したことから後世の茶人たちは遠州の歌銘に倣うようになりました。
さらに、遠州自らが指導し、好みの道具を焼かせたという以下の七つの窯があります。遠州七窯と呼ばれ、現在も遠州好みとして知られています。
七宝細工を取り入れた茶室や道具
小堀遠州は、初めて茶室や道具に七宝を取り入れた伝承上の最初の人物といわれています。
七宝柄は円や楕円が連なった柄で、人と人とのつながりを表し、円満や子孫繁栄を意味する縁起の良い柄です。有職文様のひとつで、小堀家の家紋「花輪違い」にも用いられています。
遠州は茶室の襖の引き手や釘隠しなど、随所に七宝を取り入れました。棗や盆などの道具にも七宝柄があしらわれているものが多くあります。
まとめ
小堀遠州流は流祖小堀遠州の独自の美意識のもと確立された流派です。侘びさびと華やかさ、厳格さが融合したきれいさびは、見る人を惹きつける魅力に溢れています。
小堀遠州流の教室では、本格的に始める前に体験ができるところが多くあります。お茶を習いたいけれどどこで習うか迷っている方は、まずは体験で雰囲気を感じてみてはいかがでしょうか。